クレニオセラピーの歴史
クラニオ セイクラル セラピーのはじまり
『頭蓋縫合は、ミクロレベルの測定範囲で微細な動きをしている』
ウイリアム・ガーナー・サザーランド (William Garner Sutherland,1873-1954) <クレニオセラピーの歴史>
これを発見したのが、オステオパシーのドクターである ウイリアム・ガーナー・サザーランド (William Garner Sutherland, 1873–1954) です。彼は頭蓋セラピーの最初の探究者とされています。そして、クラニオセイクラル セラピー(頭蓋仙骨療法)の歴史はこのサザーランドの発見により始まりました。

1899年、当時オステオパシー大学の学生だったサザーランドは、関節離断された頭蓋を観察していた時に「側頭骨の表面が呼吸のための関節のように動く魚の鰓(えら)のような傾きをしている」と思い、 頭蓋骨と呼吸が関係しているのではないかという仮説を立てました。

彼はその仮説を裏付けるために、自分やクライアントの頭蓋を何度も触診し、心臓の拍動や呼吸リズムとは違う、全く独立した別のリズムで動いている頭蓋運動の基盤を見つけ出しました。この呼吸のような動きは、全身で触診できる固有のリズムの基盤として、『第一次呼吸(Primary Respiration)』と名付けられました。

頭蓋骨は可動性があり、縫合は骨性関節のような機能を持っており、外部からのマニピュレーション作用により脳脊髄液(CSF)の流れの活性に影響を及ぼすとサザーランドは考えました。そして、頭蓋内での中心的な位置にある後頭蝶形軟骨結合(Sphenobasilar Janction)を特に重視し、脳脊髄液の産生と流れによってもたらされる頭蓋内の水力学的圧力がいろいろなものを介し伝えられ、頭蓋骨の動きを引き起こすと考えたのです。

その後、自説を検証するためサザーランドは、自分自身や家族への実験や調査を繰り返し、自分で打ち立てた仮説に基づいて臨床・研究を重ねました。もちろん、症候性患者の異常な頭蓋運動だけでなく、正常な無症候性の人の頭蓋可動性の観察も行いました。

自らの「感じ、見、考える指」を使ったサザーランドの20年以上にわたる研究と臨床の積み重ねにより、頭蓋仙骨オステオパシーという新しい施術法が開発されたのです。

カイロプラクティック界の頭蓋仙骨療法(SOT)
メイジャー・ディジョネット(Major DeJarnette,1899-1992)<クレニオセラピーの歴史>
メイジャー・ディジョネット(Major Bertrand DeJarnette, Dec. 23 1899 ~ May 31 1992)は、技師として働いていたとき、爆発による重傷を負い、それがもとでオステオパシーを受けるようになり、やがてオステオパシーの大学に通うようになりました。そこで彼は、クラニオセイクラルセラピーの発案者であるサザーランドと出会い、親しくなりました。

1922年にオステオパシーの学位を取った後、1924年にカイロプラクティックの学位も取得しました。その後、1929年にディジョネットは免許なしに医療行為をしたとして逮捕されたことがあるようです。

1930年代初頭、SOT(=Sacro Occipital Technique)を開発し、頭蓋の分析、及び 施術の研究を始めました。ディジョネットは、人体の区画撤去(decompartmentalizing)という独自の理論を通じて分析・治療のカテゴリーシステムを開発し、患者が陥ったカテゴリーに応じて具体的な施術法を決めることにより、クレニオセラピー分野にさらなる明確な形式を与えました。

1952年、ディジョネットは自分の徒手頭蓋テクニックを公表し、クラニオパシーをカイロプラクティックの領域に取り入れたのです。その後、1957年に国際仙骨後頭骨研究協会(Sarco Occipital Research Society International:SORSI)を設立し、『ザ・ソース The Source』が発行されています。

その後、ディジョネットは 1992年5月31日に92歳で亡くなるまで数多くの書籍を残し、自分のクリニックのあるネブラスカ州オマハで、毎年SOTセミナーを開き、多くのカイロプラクターやオステオパシーのドクターたちに頭蓋骨調整法の哲学・科学・芸術を伝え広めていきました。

このディジョネットDC,DOこそ、サザーランドDOが発見したクラニオセイクラルセラピーを発展させ、頭蓋仙骨療法(SOT)、頭蓋骨調整法を作り上げた人なのです。

現在のクラニオセイクラル・セラピーを確立(CST)
ジョン・アプレジャー(John E. Upledger,1932-2012)<クレニオセラピーの歴史>
いちばん最近では、オステオパスのジョン・アプレジャー(John E. Upledger, Feb. 10. 1932 ~ Oct. 26 2012)が頭蓋テクニックの領域を広げています。

彼は、1971年に中部頸椎部にある硬膜管の後面から硬膜外カルシウム沈着を取り除く神経外科手術の助手を務めていた時に、硬膜に関して初めて興味を持ちました。彼の役割は、神経外科医が処置している間、2組の鉗子で硬膜を静止させ押さえていることでした。しかし、硬膜は1分間に約8サイクルでリズミカルに動いており、簡単だと思っていた仕事ができないことに困惑しました。

最終的に、頭蓋骨オステオパシーの過程があること、その概念がこの手術中の観察に合致することを知ったアプレジャーは、この現象への答えを求めて、1975年に開業医をやめ、ミシガン州オステオパシー医科大学の生体力学科に入学しました。それから、諸専門分野にわたる研究チームの一員となり、解剖学者や生物物理学者、生体工学技師との共同研究に励みました。

やがてアプレジャーは、脳室および頭蓋縫合内の一連の神経叢を、伸張および圧機械受容器と同定しました。サルを含むさまざまな実験において、尾骨にわずかな圧力を加えることにより、このリズムを中断させることができることを発見しました。同様に、患者の尾骨を動かすことによって頭痛に変化を起こさせることができたとも報告されています。こういった所見が、頭蓋仙骨系という概念の誕生へとアプレジャーを導きました。

アプレジャーは、頭蓋周期性インパルス(CRI)は脳脊髄液流の結果であるとする「静圧モデル」を提唱しました。これはサザーランドの「第一次呼吸メカニズム」とは逆の定説でした。

1985年にアプレジャー・インスティテュート(Upledger Institute)を設立し、クラニオパシーの分派である頭蓋仙骨療法(CST)を商標登録しました。CSTは医療従事者だけを対象とした講習会においてカナダおよびアメリカ全土で教えられていましたが、現在では一般の治療家やまったく医学の知識のない人が家族に対してケアできるような方法を開発し、公開するようになりました。アプレジャーは一般の人向けに簡素化した施術体系について独自性を打ち出すために、自らの施術法を「クラニオセイクラル・システム」と名づけ、現在のクラニオセイクラル・セラピーを確立しました。

2012年10月26日に80歳で他界されるまで、アプレジャーは分け隔てなく、差別もなく、病者を癒したいと願う人々に快く技術を分け与え、多大な貢献をされました。


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